Luminous Tale.

過去よりも未来よりも「現在」を幸せに生きるために。今ここにある日常を輝かせるための“魔法”をお届け。旧「月光の狭間」。

*

あの日から4年。そして……

   

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分 53 秒です。

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どうも怜香@Ray_mnzkです。
今日は、あの日――東日本大震災から、ちょうど4年にあたる日です。そして、私事ではありますが、このブログ(前身である「泡沫の残滓」も含め)を開設してちょうど100日目にもあたります。

昨年12月2日にブログを開設してから、今日まで一度も休まずに毎日更新を続けてきました。そろそろ100日かなと思って日数を確認したら、なんと100日目が今日……「3.11」だったのです。
これは全くの偶然です。自分でもまさかこの日にブログ100日目を迎えるとは思ってもみず、本当に驚きました。
そして、奇しくもこの「3.11」にこうして節目を迎えることには、何か意味があるんだろうなと思いました。何かしら、伝えておくべき、あるいは記憶にとどめておくべきことがあるんだろうなと。

だから今日は少しだけ、震災のことを語ってみようかなと思います。
以下、私の個人的な主義主張もいくらか含まれます。意見には個人差があります……読んで下さる方のご意見とは合わない点もあるかと思います。その点ご留意の上、お読みいただけましたら幸いです。

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私にとって「3.11」とは

ずばり、4年前の東日本大震災と同時に、20年前の阪神淡路大震災にも思いを馳せる日です。

私は20年前の阪神淡路大震災で被災しました。幸い、私の身近にいる人は皆無事でしたし、家が倒壊したりすることもありませんでした。避難生活を送る必要もありませんでした。しかし、断水は経験しましたし、多少なりとも怪我をした家族はいました。そして私の地元も、神戸ほどではなかったですが、駅舎が倒壊するなどの被害を被ったのです。
当時私は小学校入学直前でしたが、あの瞬間に体験したことは今でもよく覚えています。どういうわけか、「怖い」という感情は残っておらず、ただ淡々と事実が記憶に刻まれているだけですけれど。
そしてその後ニュースで見た、大規模火災により火の海となった神戸の街。これが、私にとって「震災」という言葉から真っ先に思い浮かぶ恐怖の光景となりました。

それから16年後。
東日本大震災が起きて、その被害の凄まじさを知った時に、真っ先に思ったのが「東北の街が燃えてしまう」ということでした。津波の被害よりも、こちらが先に頭に浮かんだのです。
阪神淡路大震災では、津波は発生しませんでした。だから、私にとっては(3.11の当時は)恐怖の対象ではなかったのです(無論、その後ニュースで津波の被害の大きさを何度も何度も耳にして以降は、津波に対する認識は変わりましたけどね)。

2つの震災、どちらも忘れてはならないと思う

私は、東日本大震災は被災していません。身近でも、当日たまたま東京に行っていた友人が帰宅困難者になってしまっていたことぐらいでしょうか。
そのせいか、私にとっては、「震災」という言葉から思い出すのは阪神淡路大震災です。

被災した者と、被災しなかった者の間には、こんなにも認識の違いがあるのだなと身をもって実感します。
震災を経験した身であるにも関わらず、実際には被災しなかった「東日本大震災」のことは、どこか他人事で捉えてしまう。遠いもののように感じてしまうのです。同じような、いや、それ以上の苦しみを抱えている人がいることは分かっているのに。
この認識の違いは、まだ東日本大震災が起こる前、近畿地方出身の大学の同期に阪神淡路大震災の話をしてみた時に痛感したことでもあります。近畿地方出身なら震災のことは理解しているだろう、と思っていたら、そうではなかったのです。「その震災を」被災していない人には、どうしても分からない感覚があるものなのです。

もちろん、自分が被災したわけではないけれど、きちんと被災者の方々に寄り添えるという人もたくさんいらっしゃると思います。
ですが、本当に心から寄り添うのは、難しいことでもあるだろうと思うのです。心から寄り添うことが出来ていないまま、形だけの支援をしても、被災者の方々に想いは届くのだろうか……と思ってしまうのは、私だけなのかもしれませんが。

でも、それでも出来ることはあると思います。
記憶しておくこと。忘れないこと。
被災した人々がいること、そのことで苦しんでいる人がいること、それでも復興に向けて励んでいる人がいること。
それらを頭の片隅にでいいから留めておいて、定期的に思い出す。
そうすれば、被災者の方々を思いやることができる、正しい心が保てるんじゃないかと思うのです。

とにかく、忘れないこと。正しい認識を、知識を、持ち続けること。これが重要なのではないかと思う今日この頃です。

どうして今でも風評被害が絶えないのか

今日見た東日本大震災にまつわるニュースの中で、最も胸が痛んだニュース。
それは、未だに「福島県産の食品を食べることに躊躇いを感じる」人が2割弱存在するということでした。
風評被害はまだ存在している、というのです。

私は、風評は罪だと思っています。
身も蓋もない言葉で言ってしまえば、「謂れのない悪口」です。事実とは異なる、あるいは事実が歪曲されて、実際にはありもしないことがさも真実であるかのように吹聴する。
いじめと同じじゃないですか、こんなの。
殆どの場合は誤った認識による思い込みから発生しているのでしょうが、それを吹聴する人は、そのことで傷ついている人がいることに気づかないのでしょう。自分の言うことが正しい、自分は正義である、と思い込んでしまっているのですから。正直言って、ものすごくたちが悪いです。

確かに、あの原発事故は恐ろしいものです。人々がそれに対し恐怖を感じているのも分かります。
しかし、あの日から続く福島や原発に対する世論の流れ、どうも私には過剰反応しすぎているように感じるのです。
人間とは、得体の知れないものに恐怖を感じるものです。何が起こるのか、どういう結果を招くのかが分からないから、必要以上に怯えて、恐怖に駆られ、何も信じられなくなり、ありもしないことさえ真実だと思い込んでしまう。挙句の果てには、誤った正義も生まれてしまう。
風評は、そんな心の動きがエスカレートして生まれるんだろうなと思います。言葉の暴力といわれるものがありますが、風評は私に言わせれば、その対象となる人々にとっての「凶器」に他なりません。

正しい知識をもち、正しい認識を得よう

風評は、それに便乗する者がいなくなれば、消えていくのではないかなと思います。
便乗しないようにするためには、とにかく、正しい知識を身につけることです。
「わからない」「得体が知れない」から、正しい判断が下せなくて、誤った認識に振り回されてしまうことになります。きちんと知識を持っていれば、それが正しいのか正しくないのか判断が出来ますから、正しい認識を持つことが出来ます。たとえ周囲が風評に便乗してしまっていたとしても、はっきりと「これは正しくない」と認識して、便乗せずにいられるのではないかと思います。

「みんなが支持しているから正しい」とは限りません。
そんな理由だけで自分も支持してしまうのは、極めて危険です。きちんと自分で判断して、その上で正しいと思うなら支持し、正しくないと思うなら支持しない。
これは常に心がけていたいことです。

一例として原発の是非を挙げますが、原発に関してはあの事故による被害の甚大さを鑑みた上で反対している人もいるでしょうが、「なんだか怖いから」「万一のことがあったら嫌だから」「みんなが反対って言っているから」といった理由だけで反対している人も少なからずいるような気がしてなりません。原発のメリット、デメリット、双方きちんと把握した上で賛成か反対か判断してほしいな、と思っていたりします。

本当の「思いやり」って何だろう

良かれと思ってしたことが、相手にとってはむしろ迷惑になってしまうということがあります。
自分では「相手を思いやって」したことが、実際にはそうではなかったということがあり得るのです。

真に「相手を思いやる」行動をとるためには、やはり正しい知識と認識、そして判断が必要なんじゃないかなと思うのです。
相手が置かれている状況を正しく認識して、必要なものは何かを判断する。そのためには、正しい知識が必要になってきます。
そうして本当に相手が必要としている行動が出来れば、その時こそ「相手を思いやる」行動がとれたと言えるんじゃないかなと思います。それは、ただ単に「こうしてあげたら喜ぶだろう」と想像しただけの行動とは違うのです。

これは難しいことだと思いますし、かく言う私もまだまだ実践できているとは言えません。
ですが、少しずつでも、実践していけたらなと思っています。

今日のあとがき

書いているうちに日付が変わってしまいました。まだ3/11のつもりで書いているんですけどね……。
震災の話をするはずが、かなりいろんな話をしてしまいました。書いていると芋づる式に色々と思い浮かんできて、関連があるなぁと思ったものは片っ端から書きたくなってしまうんですよね。
色々と思うところも書いちゃったなーという感じです。ですがひとつ、私の思想を書くことができたかなと思います。思想を書き留める、というのは最初にブログ立てた時の目標でもありましたから。

明日からは通常営業に戻ろうと思います。あ、100日連続更新したわけだしそのことについて何か書く……かも?←まだ決めてない

最後に。
東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして、少しでも早く復興が進むことを願って。

 - 思想

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