Luminous Tale.

過去よりも未来よりも「現在」を幸せに生きるために。今ここにある日常を輝かせるための“魔法”をお届け。旧「月光の狭間」。

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決して悪い一年ではなかった。 ――2020年、最後の一日に思うこと

   

この記事を読むのに必要な時間は約 17 分 50 秒です。

ままならない一年ではあったけれど

言わずもがな、コロナ禍に揺れた一年だったけども。そして私にとっては厄年であり、実際厄年といえる一年ではあったと思うけれども。

それでも、私はこの一年を「悪い一年だった」とは決して思わない。

大好きなひとに会えなくなった

確かに、いろいろな不自由はあった。出来なくなったこともあった。

贔屓である聖乃あすかさんと最後に直接近くで顔を合わせたのは、2月末。そこからもう一年近く、近くで対面することはできていない。この2年ほど、ほとんど毎日のように入り出待ちに通って直接顔を合わせてきたことを思えば、考えられないような日々だった。

入り出待ちも無く、お茶会も無く、そして公演すら無い日々もあり。

聖乃さんと会うことが当たり前だった私にとって、「会えない」というのは信じ難い事実であった。早く会いたいと、どれだけ願い続けてきたことか。まさか丸一年近くそう願い続ける羽目になるなんて思いもせずに。

それでも、出来ることはある

けれど。

会えなくても、ファンとして出来ることはある。

その最たるものが、「お手紙(=ファンレター)を書く」ということだった。

聖乃さんと会えなくなってから、毎週欠かさずお手紙を送り続けた。それが当たり前の日課になっていった。

声ではなく文字で。言葉で思いを伝えるという点は同じだ。いろんなことがあったけれど、時にはやるせないことだってあったけれど、お手紙を書くと不思議と落ち着く。

お手紙を書くということは、送り先である聖乃さんのことを考えるということ。そして、彼女に思いを届けるという行為を通して、自分と向き合うということ。自分の心が荒んでいては、到底彼女に言葉を届けることなんてできやしないから(友人に話したら「写経みたいなものだよね」と言われたことがある)。

聖乃さんにお手紙を書き続けていたからこそ、私はこの一年をできる限り平穏に過ごせたんだろうなと思っている。

聖乃さんからも時折、インタビュー記事などを通して思いが届く。それは勿論私個人に向けられたものではないが、それでもまるで私に向かって語りかけてくれているかのように、心はひとつ、思いは繫がっていると思わせてくれる。

それがどれだけ心の支えになったことか。本当に、切実に思う。


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有難みと感謝を知った一年

この一年で最も身に沁みて感じたこと、それはやはり「有難み」、そして「感謝」だろう。

今年ほど、それを実感した時もなかったかもしれない。

仕事があることが、有難い

私は幸いにというか、緊急事態宣言中ですら通常となんら変わらず仕事があった。リモートになることすらなく、いつものように出社する日々。

嫌だとは思わなかった。こんなご時世で通勤するなんて怖いとも思わなかった。

ただ、仕事があるって有難いな、と思うばかりだった。

私にとっては仕事なんて生き甲斐でもなんでもなく、ただの推し事の資金稼ぎの手段だとしか思っていない。というか、元々は働きたくないニート志望だ。だから今まで仕事に対して有難みなど感じたこともなくて。むしろ仕事なんて不要不急だろ、なんで働かなきゃいけないんだよ、ぐらいにしか思っていなくて。

でも、世の中の多くの人が仕事もままならず収入も途絶えたりしている中、何も変わらず仕事があり、収入も減ることなくいつも通り得られるというのがどれほど有難いことなのか、コロナ禍のおかげでようやく知ることができた。

正直、このコロナ禍がなければ、一生気づかなかったかもしれない。仕事があって、曲がりなりにも最低限の日常だけは保たれているということの有り難さには。

大切なひとが存在してくれていることの有り難さ

そして。

私はこの一年、贔屓である聖乃さんの存在にどれほど救われてきただろうとつくづく思う。

彼女の存在に、そして彼女を通じて知り合った多くの友人たちに、この一年支えられてきた。聖乃さんと出会っていなかったら、こんな鬱屈した一年、それなりに心穏やかに過ごすことなんて到底できなかっただろう。

心の支えとなる存在がいる、直接的にあるいは間接的に支えになってくれる人がいる。それがあってこそひとは生きていけるのだと実感した気がする(あいにく恋愛経験が皆無なので、これについてはずっと半信半疑だったのだ)。

そしてその支えは、直接顔を合わせなければ感じられないわけではない。むしろ、直接会えないからこそ、見えない絆を確かに感じることができたように思うのだ。

自分にとって大切な人を、ちゃんと大切にしたい

そうしているうちに、自分が聖乃さんや友人たちに支えてもらったように、自分も聖乃さんや友人たちの支えになれるような生き方をしたいな、と思うようになった。私は博愛主義ではないし元々他人への興味関心も皆無に近いから自分と無関係の人間まで助けよう支えようとまでは到底思えないけれど、自分と関わりのある人達のことは精一杯支えたいし護りたい。そんなことを思ったのは、今までになかった気がしている。

コロナという非常事態だったからこそ、聖乃さんという存在の大切さを改めて実感することができたし、多くのことを学ぶことができた。私にとっては決してネガティブなものではなかったのだ、この一年は(なので「コロナ禍」という言葉は使いたくない)。


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ストレス過多の世界で、それでも平穏に生きるために

どこもかしこも暗い話題ばかりで、嫌でも気が滅入りがちな一年だったが。

それでも、私はそこまで気落ちすることなく生きられたような、そんな気がしている。

結局のところ何が真実なのか

新型コロナの情報は、初期の頃も一年ほど経った今も、いつだって錯綜している。重篤な感染症であるだのただの風邪に過ぎないだの、両極端な情報が入り乱れ、誰もが結局どれが正しいのか分からないまま、自分が思う通りの情報を選んで真実とみなし、それ以外を偽とみなして排除しようとしている。

私にもやはり、恐らくこれが真実に近いのではないかと考えている説はあったりする。が、今の状況を鑑みるに、私の意見は少数派といえるだろう。現在よく言われている対策は過剰すぎる、インフルエンザ同等の対策を取れば充分だと考えているので。

私が信じる説は正しいのかもしれないし、正しくないのかもしれない。でも、この状況下では、何かしらこれと定めて信じてみるしかないのだろう。

その真実は、自分にとっての真実であるにすぎない

そうやって何かひとつ信じてみたとして、それが万人にとっての真実ではないのは周知の事実である(はずである)。

誰もがそれぞれ、信じるものがあるわけで。それは時にまったくかみ合わず、むしろ敵対してしまうようなものだったりもする。今のように何が正しいかまるで分からないような状況の中では特に。

でも、だからこそ、他人が自分と違う「真実」、あるいは信念を抱いていたからといって排除するべきではないと思うのだ。

自分の信念に反する言動を取っている者を見ると、どうしても反発心を抱いてしまうものだ。ましてや今はストレス過多の世の中、それは簡単に暴発して他人を傷つけてしまう。

だから今まで以上に、自分と違う信念を持つ他者の存在を認めるようにしなければならないと感じるのだ。認めるまではいかなくても、せめて安易に攻撃しないようにしなければなるまい。

それは難しいことだけれど、出来るようになった時、何事にも動じない、強く寛大な精神を得られるのではないかと思っている。

揺らがない精神を得ることができれば

2020年は本当に、否が応でも心が揺らいでしまう一年だった。その揺らぎは無意識のうちに、自分を、そして他人を傷つけてしまう。

それをどれだけ阻止することができるか。そのためには、たとえ揺らぐことがあってもすぐに平静を取り戻せるようになる必要があるだろう。

つらいこと、苦しいこと、嫌なこと。それ自体を防ぐことは難しいけれど、もしそれが自分の身に降りかかった時、揺らいでしまった心を速やかに元に戻すことができれば、きっと立ち直るのも前を向けるのも早いはず。

私はどうしていたかというと、嫌なことがあったその瞬間は感情的になるけれど、すぐに「それはそれ」と思い直して、今後どうするかを考える。起きてしまったことは仕方ないから、また同じことが起きないようにするにはどうしたかいいか思案する。これで、随分と落ち着くのが早くなった。

あとは、いつまでも引きずらないこと。「はいこの話はもう終わり」。この言葉をよく自分に言い聞かせた。執念深い私はいつまでも引きずってしまうのを知っていたから。

いつしか、心が強くなれた気がする。たいていのことはやり過ごせるようになった。この一年で鍛えられたことだと思う。これもまた、コロナの恩恵かもしれない。


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いつだって、自分にできることをやるしかない

今年もっとも学んだことというか悟ったことは、間違いなくこれだろう。

「今の自分に出来ることをやる」。これしかない、と。

本当に何一つ出来なくなったわけじゃない

コロナ禍で、今まで出来ていたことが出来なくなった事例は枚挙に暇がない。私含め、完全に今まで通りに過ごせている人は恐らく皆無だろう。仕事が普通にあり続けた私でも、宝塚まわりではあれこれと中止になって今まで通りのファン活動が出来なくなった。収入が途絶えてしまうなど、私よりもはるかに厳しい状況に置かれている人は数知れないはずだ。

それを踏まえても、なお思うことがある。

本当に、「まったく何も出来なくなってしまった」のか?

何も出来ないように感じられるだけで、本当は何かひとつぐらい出来ることがあるのではないのか?

自粛だの何だのと口うるさく言われるせいで、外出も外食も友人知人に会うこともできないと嘆く人は多い。しかし、そう嘆く人たちは、本当に一歩も家から出ていないのだろうか。道行く人含め、本当にあらゆる人間と一切接触していないのだろうか。そんなことはさすがに不可能だろう。

何も出来ないように思えても、知らず知らずのうちにやっていることがある。ということは、何かしら出来ることはあるはずなのだ。いかなる時でも。

自分に出来ることは何かを考える

今まで出来ていたことができなくなった今、それでも自分に出来ることは何だろうか。

それを考えて実際に実行に移す。これがどれだけ大切なことか、思い知らされた一年だったように思う。

タカラジェンヌたちは、自粛期間で公演中止となり舞台に立てない時期でも、各々オンラインレッスンやトレーニングなどに励み、自己研鑽を続けてきたと聞く。彼女たちは最大の活動の場を丸々奪われながら、それでもまた舞台に立つ日のために努力を惜しまなかったわけだ。

私個人としても、聖乃さんが公演中止期間中どのように努力を重ねてきたか耳にすることが多く、そのたびに「自分に出来ることは何だろう」と考えさせられてきた。その結果が、冒頭で述べた「お手紙を送り続けること」である。

聖乃さんがこのような状況下でも自分にできることをやり続けているのに、ファンである自分が何もしないなんて、聖乃さんのファンとして恥ずべきことだと思ったのだ(それだけ彼女の存在は私にとって大きい)。

そして、私は私なりにではあるが、この一年を通して「今の自分に出来ること」をやり通せたと思っている。それは多少なりとも自分の誇りのひとつになったし、この一年を気持ちが腐ることなく過ごせた一因だと感じている。

ただ嘆いているだけでは、何も前に進まないから

コロナに翻弄された一年、いろいろなメディアの記事や報道を見ていると、厳しい状況に置かれたことをただひたすら嘆き苦しむ話題もあれば、厳しい状況下でもなんとか活路を見出そうと奮闘する話題もあった。

この状況下を抜け出した時、どちらがより明るい未来を手にできるかと考えたら、間違いなく後者だろうと私は思う。

何故なら、彼らは苦しい状況下でもなんとか今の自分に出来ることをやろうとしているから。出来ることがごく限られている中で、それでも何か行動しようと模索しているから。それは必ずや、世の中が元に戻った後にも大いに活かされていくはずだ。

現状を嘆くだけでは、いつまで経っても今の苦しい状況に囚われたまま。そこから抜け出すためには、今の自分に出来ることを考え、未来に向けて一歩を踏み出す必要がある。それができるとできないとでは、いずれ大きな差が生まれてくる。行動を起こしていた者は、起こさなかった者よりはるかに飛躍できるはずだ。

いかなる状況下であっても、ただ嘆くだけではなくて、「今の自分に出来ること」を粛々とやるしかない

それをつくづく思い知らされたように思う、コロナというものに。


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この一年の経験を、無駄にしないために

こんな一年だったからこそ気づけたこと、学べたことも多かった。だからこそ、このままで終わってはいけないと思うわけで。

本当に大切なことを、この一年で学べた気がするから

あまりにもいろいろなことが起きすぎて、私の人生30年ほどの中で最もイレギュラーな一年だったと思うわけだけれど。

その分、学べたことは本当に多かった。気づけたことも多かった。

仕事があることの有難さ。

大切な人達への感謝。

今の自分に出来ることをやるしかないということ。

これらの学びと気づきはきっと、来年も、いやこれからの人生に活かしていける。忘れてはいけない、大切なことだと思う。

今このタイミングで、気づくことができてよかった。コロナという未曽有の事態を通して、気づかせてもらったのだろう、きっと。

すべての出来事は必要だからこそ起きている

先日行われたフィギュアスケートの全日本選手権。その演技後に羽生結弦選手が語っていた言葉の中に、とても印象的だったものがある。コロナにより練習のできない日々があったことなどを話していた時だった。

「必要なことだったと思う」

コロナというものが、自分にとっては、である。

ああ、この人は強い。今なお世界の頂点に立つのも当然だ、そう深く感じた。

本当に「強い」人は、どんなに苦しむことがあっても、それを自分に必要なことだと考えることができる。すべてのことは、必要だからこそ起きている。そこから何に気づき、何を学ぶか。それが分かれ目なのだろう。

このことは、聖乃さんの言葉から感じることも多かった。彼女もまた、この一年を通して様々な大切なことに気づき、学んでいったのだろう。それを感じ取れたからこそ、これからも聖乃さんは飛躍していける、そう感じられたのだ。もちろん、ファンとして今後もしっかりついていこうとも。

私もこの一年、コロナがあったからこそ気づけたこと、学べたことが多かった。気づかせてくれてありがとう、と思う。またひとつ、大人になれたかな、と。

きっとコロナは教えてくれたのだ。一度立ち止まれ、よく考えろと。苦しむことになったならば、何故そうなったのかと。苦しみを抜け出すにはどうすればいいか考えてみろと。

もちろん実際に感染したり、感染者の対応に追われたりして、そんなことを考える余裕すらない人も少なくないだろう。そんな人達にまでこの言葉を向けるのはあまりにも酷だけど、せめてほんの少しでも何かに思いを向けられる余裕のある人たちには、一度立ち止まって考えてみてほしいなと思う。

2021年に向けて

今までなら考えもしなかったようなことを考え、気づき、学ぶことができた一年。

これから求められるのは、気づいたこと、学んだことを忘れないようにすることだろう。せっかく学んでも、今後に活かせなかったら意味がなくなるからだ。

もうしばらく、今の状況は続くことだろう。いつまで続くんだと嘆くより、今のうちに学べることをしっかり学んでおこうと思えるように。そして落ち着いてからも、得られた気づきと学びを活かしていけるように。

自分の精神のアップグレードを、これからも試みていきたいと思う。いつだって人間は成長できるものだから。自分自身を活かすも殺すも、自分次第だから。

また一年後に、この一年も成長できたと言えるように。2021年もしっかり学んで生きていきたいと思う。


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今日のあとがき

というわけで、久々のブログ更新がこれってのもどうなんだと思わなくもないですが。

毎年書いている年末記事、今年は気乗りしなくて書かなくてもいいかなと思ったりもしたのですが……結局書きました。それも今までにない大ボリュームで。

それだけ、本当は書きたいこと、言いたいことがあったんだなと思います。というか、こういう内容を書く方が好きなのかもしれません。いつもなら別館に書くような内容だけれど。

来年はどれぐらい記事書くか分かりません。書かないかもしれない。けれどまあ、書きたくなったら書こうと思います。無理やり書くものでもないし、無理に書かないようにするものでもないのでね。

年始の記事は書かないかもですけれど。こんな調子ですが、今年もお読み下さりありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。


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