我が愛するは“自由”なり。私の好きな自分とは【寄せ書きブログ】
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どうも、実は最近手書きにハマりつつある怜香@Ray_mnzkです。
今まで何が何でもデジタル派だった私がどうして急に手書きなんぞやりだしたのかというと、今話題のバレットジャーナルに手を出したからなんですよね。
手帳もスケジュールアプリも3日と保たなかった私がまさかの2週間以上続いているので、これは本当にいけるのかもしれない、と思い始めています。
というわけで、今月はバレットジャーナルの記事書くぞ!と心に決めたわけですが……今日の記事は違いますw
月初といえばこれ、の定番になるかもしれません。ぞのさん主催の寄せ書きブログ。
今回もかなり抽象的な話になりそうですが、お題について思うところをつらつらと語っていこうと思います。
「私のこんなところ好き」の意味するところを考える
書けそうで書けない、今回の寄せ書きブログお題
2度目の参加となる(ぞのさん)主催の寄せ書きブログ、今回のお題は「私のこんなところ好き」。
第2回テーマ「私のこんなところ好き」(2017年11月3日(金:文化の日)に、みんなで投稿しよう!) #寄せ書きブログ | ぞのドットコム – 好奇心をくすぐるブログ
「#寄せ書きブログ 」とは、みんなで同じテーマのブログ記事を書く実験です。 同じテーマで書いているはずなのに、違った切り口の記事が集まったら、面白いと思いませんか? ピーンと来たブロガーさんは、「私のこんなところ好き」というテーマで記事を書いてみてください。 「#寄せ書きブログ 」というハッシュタグをつけて、ツイートしていただけたら、見つけて当ブログに掲載させていただきます。 …
最初にこのお題を見たときからずっと、「私のこんなところ“が”好き、って意味でいいんだよな?」と全くもって本題と関わりない(そして細かすぎる)ところで妙に悩んでしまっていたのは内緒です(どう考えたってそれ以外の助詞が挟まることはないだろう!)。
このお題、個人的には「書けそうで書けない」話の代表格といったところでして。さすがぞのさん絶妙なラインを狙ってきたな、と一本取られた感さえ覚えていました。いや、そんなこと思っている暇あったらさっさと構成考えろってところですが!
好きな「物事」なのか、好きな「自分」なのか
なぜ「書けそうで書けない」のか。
それは、このお題の意味するものが「自分の好きなモノ・コト・ヒト」ではなく、「自分の好きな“自分自身”」であると考えられるからです。
たとえば、「書くことが好き」と「書いている自分が好き」では、ニュアンスが異なってきます。
そうすること自体が好きなのか、そうしている「自分」が好きなのか。
ささいなようで、大きな違いであるように感じられます。そして今回のお題の趣旨は、後者を想定しているように見受けられます。
「自分の好きな物事」ならわりと簡単
前者(自分の好きなモノ・コト・ヒト)ならば容易に思いつきます。
宝塚が好き。天然石が好き。野球が好き。書くことが好き。考察することが好き。物語に触れることが好き。自分の世界に浸ることが好き。
ぱっと思いつくだけでもこれぐらいは優に出てくるわけです。もちろん、時間が許すならもっと書き出せるでしょうし、個別に掘り下げていくこともできるでしょう。
自分は「何が」好きなのか。
観察対象は、自分以外です。「自分がしている行為」も含まれていますが、この場合対象になっているのは「行為そのもの」。いずれにせよ、自分の外にあるものです。
「自分のどこが好きなのか?」に答えるのは容易ではない
逆に後者(自分の好きな“自分自身”)は、観察対象が「自分自身」であると言えます。何かをしている「自分自身」が対象となるのであって、「何をしているか」自体は対象となりません。
自分の「どこが」好きなのか。
これはすなわち、「在り方」にスポットが当てられているとも言えるでしょう。
今の自分はどういう在り方をしていて、そのどこが好きなのか。それに回答することはすなわち、自己愛の発信とも言えるでしょう(自己愛とはナルシスト的な意味ではなく、いかに自分が自分自身を受け入れて認めているか、ということです)。
こういうものは、自分自身を見つめなければ答えが見えてこないわけです。だから、難しい。簡単には出来ないことなのです。自己愛を発信すること自体に恥を感じる場合もあるでしょうしね。
とはいえ、今回求められているのは恐らくこちらですから、本腰入れて考えてみることにします。
「私は私のどこを好きなのか?」を探ってみる
「自分自身」に焦点を当てて「好き」を考えてみた結果
さて、私は私自身の、どういうところを好きなのか。
……考えてみたのですが、これがどうにも出てこない。
単純に「好き」というところに主軸を置くと、どうしても「○○が好き」という方向に思考が行ってしまうのです。宝塚だとか、天然石だとか、書くことだとか。「好き」の対象がことごとく自分の外にあるモノになってしまうのです。
たぶんそれでもいいのだろうと思いつつも、前述の通り、「自分自身のどこが好きなのか」というのが今回のお題の趣旨であろうと私は解釈しています。単に「好きなモノ」を語るのであれば、それこそ偏愛マップを作れば話は事足りますし。
では「自分自身」に主軸を置くとどういう思考になってしまうのか。
私は自分自身のこういうところを「誇りに思っている」。
なぜか、何度考えてもこれに落ち着いてしまうのです。
フリーダムで常識外れな我が半生
私が自分で気に入っている「自分自身」に、やたらフリーダムで常識外れな過程を経てきている、というのがあります。
小学生時代は子役のミュージカル役者として活動しつつ受験勉強期間わずか一ヶ月で中学受験していたりとか。
自覚している限りでの反抗期がなぜか10年を超えるレベルだったりとか。
学生時代は勉強面では悩むことなかったのに人間関係で悩まぬことはなかったとか。
大学受験本番直前期に同人サイトを立ち上げたりポケモンで遊んだりしていたとか。
ずっと理系だったのに大学進学後にいきなり文系に転向して哲学学び始めたりとか。
就職活動に何の価値も見いだせなくて就活自体を放棄した挙句二年間も就職浪人していたりとか。
旧帝大系卒の割にはごく一般的な中小企業の事務員を平気でやっていたりとか。
生まれてこの方まともな恋愛経験がないどころか恋愛自体望まず嫌悪感すら抱いていたりだとか。
今も昔も人とつるむのが嫌いで一匹狼であることを好んでいるだとか。
……恐らくたいていの人は、随分と常識外れな奴だな、と感じるかと思います。実際これらについて「なんで?」といったツッコミを受けたことは一度や二度ではありません(だから今まで語るのを避けてきた節がありました)。
自由に生きてきたこと、それが誇り
でも、私はこんな半生を歩んできたことに、世間の常識に縛られず自由にやってこれたことに、誇りを感じています。
今も昔も、私の生き方は行き当たりばったり。未来なんて見てはいない。もし見ているとしたら、いつかたどり着く人生の最後の瞬間ぐらい。
常識が嫌いで、正義が嫌いで、型にはめられるのが大嫌いで。その割には人に勧められたままの道を歩むことも多々で。一貫性があるようで無い、それでも「普通の生き方だけはすまい、自由でありたい」と心に決めていて。
こうして振り返ってみても整理のつかないようなフリーダムな半生なのですが、それでも誇りに思えるのは、「私の人生、これでよいのだ」と思えているからこそ。いろいろしんどい時期があったとしても、最終的には肯定的に捉えることができているからこそなのです。
自分を好きだと言える、そんな自分が好き
「自分が好きか?」と問われたら……
総じて「自分を好きか?」と問われると、「嫌いではない、むしろ好き」と答えます。
でもそれは単純に自分自身を愛しているというよりは、そういう自分を誇りに思っている、という意味です。前述の通り、私は自分自身のフリーダムで常識外れな半生を誇りに思っているし、気に入ってもいます。
平凡であることを嫌い、非凡であることを望んできた私にとっては、誰にも左右されない自由と価値観を保って自分の思い通りの生き方をしてこられている自分というものは(世間がなんと言おうと)「幸せな成功者」なのです。
そんな自分を好きだと思えること
そういう考えができている自分を好きかと問われれば、好き、と答えるでしょう。かくありたいと望む自分を実践できている感覚があるわけですから。
「こうであれば自分を好きになれる」という頭で考える自己愛と、「こうである自分が好き」という心で感じる自己愛。これらが一致すれば、きっと怖いものはない。
今もある程度の一致は見られるから自分のことを好きでいられていますが、これからもっとこの一致を強めていけると確信しています。つまり、もっと自分を好きになる(そして好きになれている自分を誇りに思う)ことはできるわけです。
だから今後も自分の「かくありたい」と望む姿と「好きだな」という感覚とを近づけていきたいな、と望んでいます。
自分の「理想」と「好き」を近づけていくために
それにはとにかく、何でもいいから「これ面白そう!」「やってみたい!」と感じたモノに手を出してみることかな、と思っています。
世間的な評価は一切度外視で。それでこそ、私が望む自分の姿なので。それを実現したときに、自分が心から満足して、そうやって生きてきた自分自身を心の底から好きだと思えるように。
どんなに世間的な評価が悪くても、自分が良いと思えたなら手を出してみる。
逆に、どんなに世間的な評価が素晴らしくても、自分が興味を持てないなら手を出さない。
人並み外れてこそ我が人生。
今でも好きではあるそんな自分を、これからもっともっと好きになれるように。
プレッシャーにならない程度に、自分の望む「フリーダムで常識外れな生き方」をしていきたいと思います。
どこまでも自由に。
自由に生きていく自分を、好きであり続けたいと望みます。
そして、それこそが、私が「こんなところ好き」と言える自分自身なのです。
今日のあとがき
というわけで、結論っぽい結論にはなっていない気もしますがwこれが私なりの「私のこんなところ好き」でございます。
いやはや、今回の寄せ書きブログは難しかったです。冒頭にも書きましたが、本当に書けそうで書けない。最初にざっくりと一通り書いてみたら、ほぼ同じ内容の文章がふたつ出来上がっていてどうしようかと思いましたよ……。
それをなんとか融合させて整理して、どうにかこんな形になりましたが。なんかお題と逸れちゃった気がしますね。というか、ほぼ言葉遊びなんじゃないかという気もしてきます。
まあでも、今の私に語れるのはこんなところ。これから先の人生を生きていく中で、もっと的確に語れるようになっていきたいですね。
それでは、今回はこのあたりで。
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