11月に流行った「好きなブログ紹介」を遅ればせながらやってみた
この記事を読むのに必要な時間は約 15 分 30 秒です。
どうもご無沙汰しております怜香@Ray_mnzkです。
また1ヶ月以上は空いてしまったかしら……。ええ書けない時期でした。ここしばらくはとにかくあれこれあって、ブログ書くというか知的生産どころではありませんでした。今、ようやく少し落ち着いてきたところです。
さて、今回の記事。11月にブロガーの皆さんがこぞって書かれていた「好きなブログ紹介」を12月になってだいぶ経つけど勝手にやってみようという話です。
正直初めは「好きなブログって絞れないよな……」と思って書くつもりなかったのですが、11月下旬になってとある記事がきっかけをくれまして。
ブログ記事もプロジェクトもあたためることで道筋が見えてくる | アシタノレシピ -明日を楽しくするレシピ集- |
これです。アシタノレシピにてうさぼうさん(@usabo_tweet)が私のブログを紹介してくださったんです……!まさか紹介していただけるなんて、本当に感謝しかありません。ありがとうございます。
そんなわけで私も書かずにはおれぬ!と執筆を決意したのが11月26日。……から、色々あって今までかかりました。本編自体は1週間もかかっていないのですが、なんせ、取りかかるまでが……orz
結局12月も下旬となってしまいましたが、ようやく書き上がりましたのでご紹介します。
私の好きなブログ。それは、ノリロウさん(@norirow)のブログ「NORIROW’S REPORT」です!
NORIROW”S REPORT – ノリロウ戦記 – |
目次
NORIROW’S REPORTとは
ノリロウさん(@norirow)のブログです。どこか語りかけるような、親しみのもてる語り口が印象的です。
NORIROW”S REPORT – ノリロウ戦記 – |
「開封の儀式」だけじゃない、もっと深い「物語」の数々
ノリロウさんについては、新しいApple製品が発売される度に執り行われる、毎回趣向を凝らしに凝らした「開封の儀式」でご存知の方も多いかと思います(これ、開封の「儀」ではなく「儀式」であることがポイントであるような気がしています)。
開封の儀式まとめ 〜購入アイテムレビューの記録〜 | NORIROW”S REPORT |
私もこの「開封の儀式」シリーズは大好きなのですが、私が最も心惹かれた……というか、心打たれたのはこちらのカテゴリ。
雑記 | NORIROW”S REPORT |
「雑記」と銘打たれてはいますが、そこに綴られているのはどれもとても深く、考えさせられる内容ばかり。哲学的ともいえる問いかけや考察も数多く見られます。
私がこれらの記事(ノリロウさんは「物語」「ストーリー」と表現していらっしゃいます)を読んだときは……どれもあまりにも共感できることばかりで、思わず涙したものです。「私と同じ考え・思いを抱いている人がいるんだ」「私だけじゃなかったんだ」と。同じ思いを持つ人の存在は、得も言われぬ安堵と安らぎをもたらしてくれるものです。
それでは、特に共感を受けた記事を紹介しながら語ってみることにします。内容的には大きく3つの事柄に分かれます。
「匿名」について
本名ではない「名前」で活動するということ
匿名と実名と私。 |
まずはこちら。「匿名」についての考察なのですが、私も全くもって同感なのです。私も「水撫月怜香」というHNで活動しており、これは本名とはかけ離れた名前なのですが……この名前を「匿名」だとは全く考えていません(というか、そういう認識が全くありません)。紛れもなく「もう一人の本当の私」であり、そのつもりで活動しています。
本名の私も、HNでの私も、どちらも間違いなく「私」です。環境に合わせて自分のモードを切り替えるために名前を変えている感じです(実際私はゲーム上での名前と創作活動用の名前も持っている)。言うなれば「芸名」です。名前を伏せて活動しているという感覚はなく、もうひとつの「名前」を背負って生きているという感覚です。だから、本名ではないからといって無責任な言動はできません。
もしかしたら、「アバター」という感覚なのかもしれません。ゲーム上で動かす自分のキャラクターみたいな。「匿名」という言葉がしっくりこないのは、「姿を隠している」というわけではないからかなと思います。
「もう一つの名前」で活動するからこそ得られるものがある
匿名ってなんだろう。それはお化粧みたいなもの? |
以上のように思うからこそ、この記事に書かれていることも本当にその通りだなと思うわけです。「もう一つの名前」をもち、「もう一人の本当の私」としてネット上で活動することにしたからこそ、こうしてブログを書いて、本名のときとは全く違う人脈が出来ているんだろうなと思うから。
私はネット上で本名を晒して活動するなんてことはとてもじゃないけど出来ません(だからFacebookは無理です)。それは個人情報の観点も勿論あるけど、それだけじゃない。本名の私をそのまま持っていったところで、何かリアルとは違うことができるとは思えない。環境が変わるなら自分も変わる、そうするからこそリアルとはまた別のいろいろな関係が引き寄せられてくるんだと思います。
そんなわけで、今まで漠然とそうかなと思っていたことが腑に落ちた感じがしています。「そうか、そう思っているのは私だけじゃなかったんだな」という感覚。自信をもって、この「もう一人の本当の私」を大切にしていこうと思えます。
死生観について
「いつ死んでもいい」と思って生きるということ
『死生観』 |
この記事を読んだとき、「こんなにも全く同じことを考えている人がいるとは……」と衝撃を受けたのをよく覚えています。
私も「いつ死んでもいいように」生きているつもりです。ノリロウさんのように実際に死ぬかも知れない事態に遭遇したことはまだないから「つもり」の域を出ていませんが。
世の中未来を見据えて目標だのミッションだの定めて……と言われますが、私にはそれがどうしてもしっくりきませんでした。だってそれは「未来があることが確約されている」前提で語られていると思ったから。
私も含め、人間は無意識のうちに「永遠」を信じて生きていると思うのです。だから「未来のために」なんてことが平然と言える。本当はそんなことないのに。明日、いや1分後には死ぬかも知れないのに。それなのに未来の目標なんて定めたら、きっと志半ばで死ぬことになって後悔する。
……そんなことをよく考えていたのですが、まさかほぼ同じ事を考えている人がいらっしゃるなんて。本当に驚きでした。
人の死に際して何を思うか
人の死が辛くなくなったらそれは何か感情の欠落なのでしょうか…。 |
そしてこれ。これには本当に驚きました。まさか同じ状態の人がいるなんて思いもしなかったから……。
実は私も、人の死に対して特に何の感情も起こらない人間なんです。今までに数人の身内とペットを亡くしましたが、そのいずれでも泣きはしなかったし、悲しいと思ったこともありませんでした。育ての親である祖母が亡くなったときでさえ、です。
私はいつしか、このことを「自分には哀悼の感情が欠落しているからだ」と考えるようになりました。
たぶん、その向こうにある考えは違います。私の場合は「たとえこの世界から誰かがいなくなったとしても、やがてその穴は自然と埋められて、何事もなかったかのように世界は動いていく」という考えからです。だから、誰かが亡くなったとしても、ただ「そのうち埋まる穴が空いただけ」と思えてしまって。悲しむというよりは、空虚さを覚えて感情が消える、だけになりました。
恐らく、祖母を亡くした後ぐらいからそうなったように思います。7年ぐらい前のことだったはずです。
このようにノリロウさんとは背景にある思考が異なるものの、「人の死に対する感情が欠落している」点はとても近くて、「私だけではなかった」という安堵感に思わず涙しました。
「死」というものに対して思うこと
ノリロウさんは、今までのご自身や周囲の方々に起きた経験から、「死」にまつわる疑問と考察をいくつも綴っておられます。
余命3ヶ月と言われたら。 |
たとえばこれ。私だったらどう考えるだろう……
もし家族や大切な人がこの宣告を受けたとしたら、悲しくなるというよりは怖くなると思います。喪失が目に見えているわけですから。大切な存在が失われていくのを止められないというのは恐怖ですから。
でも、もし自分がその宣告を受けたとしたら……たぶん、特段何も思わないんじゃないかな、と想像します。「ああ、死ぬんだな……」って思うぐらい。そんな気がします。きっと特にとりたてて何かに取り組むわけでもなく、ぼんやりとその時まで過ごしていそうです。「死に場所を探すために生きている」という感覚が、心のどこかにあるからかもしれません。
まあ、実際そうなってみた時にどう思うのかは、今は分かりませんけどね……あくまで想像です。
人は死んだら記憶を失っていくのでしょうか? |
そしてもうひとつ。これは私も時々考えることです。自分が死んだら、自分の記憶や知識、思考回路は残らず無くなってしまうんだろうかと……。科学的に考えればそりゃそうなんだろうけど、「それって怖いな、嫌だな」という感情がどうしても拭えません。それまで長い時間をかけて積み重ねてきたことが一瞬で消えてなくなるんだと思うと、そのあっけなさに恐怖を覚えずにはいられません。
……そう考えると、私はまだまだ「死」に対して恐怖心を抱いていることになるのでしょう。死ぬことなんて怖くない、と考えている自分もいるんですけどね。
「正しさ」について
思い出された「物語」
『正しさが人を救うとは限らない』という言葉の舞台裏。 |
この記事の初めに紹介されている言葉を読んで真っ先に思い出したのが、三島由紀夫の「春の雪」でした。
これ、4年前だったかな、宝塚で舞台化されまして、それで知っているのですが。物語の終盤で、もう二度と会うこと叶わぬ存在となってしまった想い人・綾倉聡子に何としても会うべく、彼女が身を置く寺の前で吹雪の中待ち続ける決心をした主人公・松枝清顕に対して、その親友・本多繁邦が取った行動がこれだったのです。彼は清顕を止めるべきだと分かっていながら、止めずに応援し、また清顕の行動に全面的に協力したのです。
「友達なら、止めるべきなんだろうな」
確かこんな台詞があったように思います。
これを観ていた当時は何故繁邦がこんな行動に出たのかいまいち納得できなかったのですが、この言葉を読んでようやく腑に落ちました。真の友達とはそういうものなのだな、と。
「正しさ」の基準はどこにあるのかということ
さて、「正しさ」あるいは「正義」については色々と思うところがたくさんあります。というか、私は「正義」という言葉が大嫌いです。ある一つの言葉をこの世から抹殺してよいと言われたら、私は間違いなく「正義」を抹殺すると思います。
私が思うに、「正しさ」あるいは「正義」というのは全くもって主観的であり、相対的なものです。絶対的な正義なんてありません(もちろん、絶対的な悪もありません)。正義なんてものはあくまで「それを掲げる者にとっての正義」にすぎず、それは別の者から見れば「悪」になり得ます。そんなだから、正義はいとも簡単に悪へと転ずるのです。
他者の行動の善悪を判断する時、人はよく自分の善悪基準で判断してしまいます。私もそうだし、きっとほとんどの人がそうなのでしょう。でも、きっとそれはすべきことではない。自分のものさしで他人を測ることになるわけだから。常識とされる善悪基準だって、多くの人がそう思っているだけであって、元はといえばどこかの誰かの価値観がたまたま多くの人に受け入れられただけにすぎないわけだから。
自分の価値観では「悪」と判断されるような行動を相手が取っていたとしても、一概にそれを否定することはしないようにしたいなと思います。その人にとってはれっきとした「正義」なのかもしれないから。相手の価値観を尊重できるようになったら、世の中もっと平和なんじゃないかしら。だって戦争は、誰かと誰かの「正義」のぶつかり合いから起こるんだもの。
……そんなことを、この記事を読んで改めて考えたのでした。
もっと知りたい、という思い
ノリロウさんのブログに出会い、今回紹介した記事を読んで胸に抱いたこと。
それは、「いつかノリロウさんと語り合ってみたい」ということでした。
いや、語り合うというのはおこがましいかもしれません。お話を聞けたらいいな、と思います。ノリロウさんは私より年上の方とお見受けするので、どんな世界を見てらっしゃるのかお聞きしたい……そんな思いがあります。世界観に触れてみたい、というのでしょうか。ブログを読んでいてこんなことを考えたのは恐らく初めてです。
今回お話しした内容は、私が常日頃からよく考えていることだったりします。こんなことをしょっちゅう考える人なんていないんだろうなと思ってきましたが、案外そんなことなかったのかな、と今は思います。なにより、こんなにも共感できる、「同じ考えの人がいるんだ」と思えるブログに出逢えたことが嬉しくて。
ノリロウさん、ありがとうございます。
独りよがりかもしれないけれど。届いたらいいな、と願います。
今日のあとがき
そんなわけで、好きなブログ紹介のはずががっつり考察だか語りだかの記事になってしまいました!w
当初はごく普通に、お気に入りのブログいくつかについてさらさらっと紹介していくつもりで、実際そんな感じである程度書いていたりもしたんです。でもこのノリロウさんのブログについて書き出したら止まらなくなりました。明らかに他より文章量が多い上にどんどん書けてしまう。なので急遽方針変更して、このような形に変えた次第です。
でもまさか「好きなブログ紹介」が5000字オーバーのこんな考察記事に仕上がるとは思ってもみませんでした。でも、だからこそ書く側としては面白いのかなと思います(内容すごい重いから「面白い」とはかけ離れているけどね)。どこに着地するのか分からないというのは、行き当たりばったりだけど、思いもしないものが出来上がって楽しい。
それに何より、今回書いたことは恐らく私にとって「本当に書きたかったこと」でした。重い内容ばかりだけど、いつかこの話題はじっくり語りたかったんです。それが嘘じゃなかったことは、これを書き始めてからというものずっと「書かずにはいられない」状態になっていたことから明らかでした。この感覚、久しぶりかもしれません。
最近色々あってしばらくブログはご無沙汰でしたが、また執筆再開していこうかなと思えてきました。もう一度こんな感覚味わって書きたい。ぼちぼちですが書いていければいいなと思います。
それでは、今回はこのあたりで。
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