Luminous Tale.

過去よりも未来よりも「現在」を幸せに生きるために。今ここにある日常を輝かせるための“魔法”をお届け。旧「月光の狭間」。

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それは「誰」の物語なのか。 〜らした先生からの「成功者の本」にまつわる3つの設問を考えてみた

   

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分 4 秒です。

どうも、書きかけの記事を仕上げようとしていたら何を思ったか突然別の記事をものすごい勢いで書き上げてしまった怜香@Ray_mnzkです。

その別の記事ってこれのことなんですけどね。昨日さわりだけ書いてはいたんですけど、何故か急にものすごく続きを書きたくなってですね……なんか自分でもびっくりするぐらいの猛烈な勢いでがしがし書いてました。勢いで、と言ってもアウトライナーでですけどね!w

さて、今回の記事では「らした先生からの宿題」と呼ばれているという「成功者の本」についての3つの設問の答えを考えてみることにします。

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「成功者の本」にまつわる3つの設問とは

今回お話する……というか解答する「成功者の本」にまつわる3つの設問とは、らした先生こと倉下忠憲さんがご自身のブログ「R-Style」にて提示されたものです。

成功者の本 | R-style

設問内容は以下の通りです。

  • 問1:成功者の本を読んでも成功してない人が大量にいることを前提とし、なぜ成功者の本を読んでも成功しないのかを自由に検討しなさい。
  • 問2:問1を踏まえた上で、なぜ成功者の本を読むのかを自由に検討しなさい。
  • 問3:問1及び問2を踏まえた上で、成功するための本とはどのような形態であるべきなのかを自由に検討しなさい。

すでにこの設問への解答を考え、記事にされた方もいらっしゃいます。私もそれを見て、私なりの解答を考えてみたくなりました。

以下、その解答を書き綴ってみます。

問1:成功者の本を読んでも成功してない人が大量にいることを前提とし、なぜ成功者の本を読んでも成功しないのかを自由に検討しなさい。

ずばりそれは、「成功者の本に書かれているのは、成功者の本を書いた“成功者”その人の物語であって、貴方自身の物語ではないから」だと私は考えます。

「貴方」は「成功者」その人ではない。別個の人間。

当たり前のことですが、成功者の本を読む「読者」は、成功者の本を書いた「成功者」その人ではありません。

だから、「成功者」その人とは異なる別個の個体(つまり「読者」)が同じ道を通ったところで、全く同じ結果になるはずはないのです。

成功者の本を読んで、その通りのことを実行して全く同じように成功できるのは、成功者の本を書いた「成功者」その人と全く同じ環境に生きる、全く同じ個体(つまり「成功者」その人)である場合のみでしょう。

「貴方は私ではないし、私は貴方ではない」

これは至極当たり前のことです。実際、普通の状態においては誰もが言うまでもなくそう認識していることでしょう。

しかし、普段それをはっきり自覚しているひとでも、ひとたび「成功者の本(=物語)」に触れると、この認識が崩れ、「自分も成功者その人になれる」と思ってしまう人が多いのだと思います。その理由は後ほどお話しします。

手段だけではない。環境もまた同じでなければならない

また、たとえ成功者の本と同じ方法をとっても、100%同じ環境にはない時点で、100%完璧に再現されることはないでしょう。

「環境」には、単にその人が育ってきた環境や今暮らしている環境などだけでなく、「それまでにどういう人生を歩んできたか」「どういう性格なのか」なども含まれます。

そういった「環境」までもが逐一成功者の本に記されているとは限りません。

それに、たとえ書いてあったとしても、それを読んだからと言って今の自分の環境を書かれている通りに変えることは極めて難しいでしょう。

ましてや、その「環境」が過去にまつわるものであった場合、もはや書かれている通りに変えること自体不可能です。

「成功者」とは、「成功した人」全般を指すのではない

「成功者」と聞くと、これまでに成功してきた人全般を指すように思えてきます。そして、そういう「成功者」は世の中にたくさんいるのだと錯覚しそうになります。

しかし、「成功者の本」の著者である「成功者」は、あくまで「その物語を語ったその人」本人のみを指すにすぎません。

つまり、成功した人ひとりひとりに、その人ならではの「成功者の物語」があるはずなのです。

ある「成功者」が、別の「成功者」の物語を読んだところで、自分がその手法をとったとしても同じように成功したとは考えないでしょう。その人には、その人にとっての「成功法」があるのですから。

「物語」もまた、広く一般的なものではない

「物語」というものは、広く一般的に読まれるものではありますが、その具体的なものとしての「物語」自体は決して広く一般的なものではありません。

あくまで、その物語の中で描かれた人物達にのみ当てはまる、個別的な体験にすぎないのです。たとえそれが、決してフィクションではなかったとしても。

それでも「物語」には、それを「自分にも当てはまるかもしれない」と思い込ませてしまうある種の幻想と魅力が秘められていると私は考えます。

問2:問1を踏まえた上で、なぜ成功者の本を読むのかを自由に検討しなさい。

成功者その人に対する純粋な憧れ

人は誰しも、自分には成し得なかったことを成し遂げている人間には憧れを抱くものです。

憧れを抱くと、人は「自分もその人のようになりたい」と願うようになります。その願いが、人を「成功者の物語」へと導くのだと思います。

そしてその「物語」に触れた者は、「私もあの人のように成功できるかもしれない」という幻想に縋り付いていたくなるのでしょう。

たとえ物語の通りには成功できないとしても(そして読者がそのことに気づいていたとしても)、その「物語」には人を惹きつけ、憧れを抱かせ、一歩を踏み出させるだけの力は確かに備わっています。

記された(=実在した)成功体験がもつ魅力/輝きに惹かれる

「成功者の本」を読んだ読者は、そこに記された「成功者の物語」を追体験することで、自分には本来なし得ないはずの成功という「」を見ることができます。

それは言うなれば、「叶わぬ夢の投影」といったところでしょうか。

成功者の見た「現実」は、物語となり、読者たちにとっての「夢」となります。ひとりの人間に起こった「現実」が、多くの人々を動かす原動力たる「夢」と化すわけです。

しかし、その「夢」に触れた読者たちは、時としてその「夢」、そして物語、はては成功者その人がもつ魅力/輝きに魅せられ、その「夢」が自らの手によって「現実」になるのではと錯覚してしまいます

それほどまでに、誰かの実体験から生まれた「夢」は大きな力を持つものなのです。きっとそれは、「成功者」が実際に存在するという裏打ちがあるからでしょう。

問3:問1及び問2を踏まえた上で、成功するための本とはどのような形態であるべきなのかを自由に検討しなさい。

「“貴方に最適化された”成功者の物語」

「読んだ人が」成功するための本に必要なことは、そこに記された物語(あるいは手法、背景となる環境など)が「読んだその人」に最適化されていることだと考えます。

成功者その人が記した「成功者の本」は、あくまで成功者その人に最適化されているだけにすぎません。

それが成功者その人以外にもそのまま適用可能かと言われれば、決してそうではありません。ある程度は同じようにして上手くいくかもしれませんが、完全に同じように成功することは不可能でしょう。

つまり、「既に語られ完結した物語」では、もう一度同じ物語は紡げないのです。

「成功者の物語」は、新たな物語を紡ぐきっかけやヒントにはなるかもしれませんが、別の人が手にとっても、もう一度全く同じ物語を紡ぐことはできません。

結局、他人の物語に触れたところで、都合よくその再現をすることはできないのです。

「成功するための本(物語)」は個人個人にカスタマイズされている必要がある

“貴方の置かれた環境であれば”かくかくしかじかの方法で成功できる」

こう具体的に示されれば、それを読んだ「貴方」は成功を収めることができるでしょう。

読んだその人が「成功するための本」では、成功のための手法だけでなく、この「貴方の置かれた環境であれば」という要素も非常に重要になってきます。そこが合っていなければ、手法だけ実践していても成功することは難しくなってしまいます。

しかし、ここでひとつ疑問が生じます。

「自分の置かれた環境」を正確に把握し、成功するための本をカスタマイズできるのは、一体誰なのでしょうか?

私が考えるに、それは恐らく、「自分」(つまり、個々の「読者」その人)しかいないのだと思います。

だから、実際に「読者その人」が成功するためには、過去の「成功者の物語」をもとに、自分の環境に合わせた修正を自分自身の手で加え、自分バージョンの「成功者の物語」に練り上げていく必要があるでしょう。

もっとも、そうやって練り上げている段階の「自分バージョンの成功者の物語」は、まだ完結していません。実際その「自分バージョンの物語」の通りに歩んだらどうなるのか、結末は分からないのです。

それでうまくいくのか、失敗してしまうのか、誰にも分からない。

そこに、「成功者の本」を読んで実際に成功することの困難さがあるのではないかな、と思います。

今日のあとがき

いやはや、自分でも驚くほど一気に書き上げてしまいました。こんなにも勢いのままに書きあげたのは久しぶりかもしれません。いつもはもっとのろのろと書いているので。

らした先生の記事を読んだのが昨日(更新気づくの遅かった)で、今日こうして書き上げたので、最近の遅筆な私を思えば驚くべき速さです。案外、やればできるのかもしれません(笑)めっちゃ疲れましたけどね!

今回これを書いていて思ったのは、「こうやって書き綴った考えは、初めからこういう考えがあって書いたわけではない」ということです。

たぶん、それぞれの問いの一つ目の見出しのフレーズしか、一番初めは頭になかったと思います。実際、そこから多少膨らませた「初稿」となる段差は、1300字程度のものでした。この段階では、まだ別館に載せる程度の分量だなと思っていました。

それが、実際書き上げてみたら3000字越えです。書く力ってすごいですね。ここまで思考を活性化させて、最初はなかったものを生み出してくれる。……いや、潜在意識にあって気付かなかったものを引き出させてくれる、と言った方が適切ですかね。

そしてこの記事を書くきっかけをくださった、らした先生こと倉下忠憲さんに感謝。毎週のWRMからもいろいろな刺激をいただいていますし、勉強になっています。本当にありがとうございます!

それでは、今回はこのあたりで。

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